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父親:下山佑の10周年・命日でした。

  • 執筆者の写真: Shimoyama Satoru
    Shimoyama Satoru
  • 2019年11月17日
  • 読了時間: 3分

創業者・下山佑の命日でした。

ひっそりと、母親と二人で執り行いました。

以下、Wikipediaより。

下山 佑 しもやま たすく(群馬県生まれ・2006年没)

日本を代表する化粧品商品開発技術者

学生時代に新聞印刷会社でアルバイトとして働き経営者の高橋義治に認められ書生として親代わりの後継人として育てられる。

KBK研究所に入社 化粧品(映画・演劇・テレビ)の開発にかかわる。

戦後の化粧品を国産化する為に従事。

テレビ局のカラー放送 に伴い、日本教育テレビ(現・テレビ朝日)に入社。 日本初のカラーテレビ試験放送のメイクアップ化粧品を手がけ化粧も担当。

鐘ヶ淵紡績化学に入社 鐘紡化粧品の創業「7名,責任者:もと通産省出身である二子石氏(軍人・東京湾要塞司令官の二子石中将の息子)」 鐘紡及び鐘ヶ淵化学の財閥解体。

フランス・コティ技術者の指導を受ける。 東京工場及び研究所を東京都に売却して、鐘紡が買収した神奈川県小田原市ハリスガム跡地に産業移転。 研究と工場の新設。 小田原工場に労働組合設立

技術者として、台湾鐘紡設立、ヨーロッパ鐘紡設立(スイス・フランス・イギリス・西ドイツ・オランダ・ベルギー・他)、上海鐘紡設立(南京・蘇州・ほか)

カネボウ化粧品(製造課長・主任研究員・研究開発室長:部下400名)、鐘紡株式会社・創業100年「甦」メイクアップを担当。

世界各地から新規原料の調査採用及び開発。 日本各地に化粧品原料会社のサポートをし、原料の委託も手がけ原料会社を設立支援。

1956年 カネボウ(映画・演劇・テレビ)化粧料研究所 入社、1958年 同研究所 退職 (KBK研究所)、1958年 日本教育テレビ(現 テレビ朝日)入社メイクアップ技術担当 、1959年 同テレビ局退職、1959年 カネボウ化粧品 大井工場 研究室入社(当時 鐘淵化学工業株式会社 大井工場)、1986年研究室長にて退職。

喫茶店:ビルポート経営(東京都台東区・クミアイ化学工業株式会社 一階)

創設:すこやか健友会(楊名時 太極拳師範、社会福祉協議会・生涯学習)

創業:株式会社ダイユウケミカルズ(発祥地・東京都大田区)

創業:株式会社コスメテクノ(発祥地・東京都新宿区)

中華人民共和国:長春大学医学院・客員教授、延辺大学医学院・客員教授

著書:「素肌いきいき漢方美人(現代書林」、「新・痩身宣言(主婦の友社」、「化粧品サイエンス(国際商業出版)」、「薬膳・癒しの食材」「伝承医学と美容」、 「だれでもできる美と健康の中国医術(ブレーン出版)、呂健平・和歌山大学」

注)カネボウ化粧品

書きかけです。

母親:下山とき(宮大工・下山組の娘、明治時代)・故

父親:永瀬義梅(第一銀行)・故

義父:根岸新太郎(経営者)・故

従兄:須永徳治(足利銀行)・故

従兄弟:青木繁一(アキレス株式会社・工場国際部)

従兄弟:茂呂隆二(旧・株式会社エル商会:技術者:創業者)

従兄弟:下山重之(もと高等学校校長・サッカー国体選手)

従兄弟:岡敏夫(岡森輪業・整備士オーナー、HONDA代理店)

弟:下山進(吉備国際大学 文化財総合研究センター 客員研究員・㈱デンマテリアル取締役、下山裕子(旧姓・野田)株式会社セラリカNODA・㈱デンマテリアル)

妻:下山節子(楊名時 太極拳師範・すこやか健友会代表)

子(長男):下山一

子(次男):下山覚

書きかけです。

以上


 
 
 

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